夏庵`s nest

nest [nest]
1(鳥, 虫, 魚, 小動物の)巣, 巣穴.
2居心地のいい場所, 休み場所, 隠れ場所, 避難所.

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記号と現実
評価:
桐野 夏生
集英社
¥ 500
(2006-02-17)
桐野夏生という人の小説は、今まで気になりながらも敬して遠ざけるというか、なんとなく手に取り難たいタイプの本であった。
なんだか、いかにも面白そう過ぎる気がするのね。
テーマの選び方があざといというか、なんか週刊誌の見出し的なね、解かりやすさがあるじゃないですか。
実はこの本が僕の桐野氏、初体験本なわけなんですが。
母親を金属バット(!)で殴り殺した男子高校生と、彼に関わり、その逃亡を助けてしまう4人の女子高生、彼女らの隠された心の闇がそれぞれの独白形式で事件を通じて語られるって、さ。なんかこー、いかにもな感じだよなー。
また人物の設定がいかにも記号的というか。意外なようで割りとありがちな現代女子高校生像。そして物語の展開も、つまりは常にその状況において一番ありえない選択を登場人物たちにさせるという、意外性という解かりやすさ、そして話もまあ、こうならざるえないわな、という展開になり、さらにもうひとつ落ちが着くわけだけだが。
最後の主人公の友人の手紙は正直何のことやらという感じなんだけど、最後主人公の独白には、この本のタイトルが「リアルワールド」である意味、つまり現実を模したフィクションが、まったくの虚構世界でありながら幾許かの真実にたどり着く成果は感じられた、と思う。
例えば、週刊誌の記事がそれが真実を基にしたノンフィクションであっても、その言葉だけで「アーなるほどねー」と納得できるような記号の抽出のみにこだわってまるで現実を伝えないないのとまるで逆の道筋というのかな。そこにやはり物語としての、小説としての力というものは確かにあるわけで。
で、結局その現実にいたるのは、物語の間中まるっきりなにしたんだろうというぐらい描かれてなかった、周りの大人たち、事件を捜査する警察やら、少女たちの親やら、殺された母親の夫やらの描写が最終章にあり、そうした記号さえ与えられないリアルに生きている人々の世界へ、自分も加わるのだという少女の決意が、だから、確かな手ごたえのあるもののように、僕は感じたのだけど、これって別にネタバレにはなんないよね?
| book | 02:18 | comments(2) | trackbacks(105)
通人の憂鬱
僕の携帯の着信音、電話が「マイフェイバリットシング」で、メールが「スペイン」なんですよね。なんか、両方ともCM曲になっちゃって、えらくダサい感じだなと。

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| 閑話休題 | 23:15 | comments(0) | trackbacks(0)
蛇足。
前の記事の日付が2/4になってるのは、日付をひと月間違えてやがんな、ということではないのです。
あの記事を書き始めたのが丁度ひと月前なんです。つーことは、あの文章を書くのに一ヶ月かけましたということだよ、びびるね。
なんか、そういうデスね、書きかけの記事ばかり溜まってる状況ではあるんですよ。なんだかねぇ。ネタを思いついて、書き始めるんだけど、なんだかめんどっちくなって、時間も無くて、書きかけのまま2,3日置いちゃったりすると、そもそも何書こうとしてたかさえ忘れちゃう、みたいな。
もっとこーフットワーク軽くね、思いついたことそのまま書いていかなきゃ、だってそれがブログ!と思って、とりあえずやってみたが、これもなんだかな。
| - | 02:04 | comments(0) | trackbacks(0)
夏の終わり方
 とにかく、出て来る登場人物がひとり残らず、「いけ好かない」やつらばかりなので、一体何のためにこんな本を読まなきゃいけないんだと思ったのが,今から25年も前の話なんだもんなぁ、といまさらに思い知ると溜息が出る。
 なぜ「偉大なるギャツビー」を読もうと思ったかといえば、村上春樹が褒めていたからに決まっていて、その頃に僕は村上さんの「初期三部作」に夢中で、その憧れの小説家がその作品を評して「この小説が無ければ、今の自分が小説を書いていたかどうかわからない」と、当時(25年前、溜息。)から仰ってたわけで、ならばあるいは自分にもそうした天啓が訪れるのでは、という17歳の少年らしい純粋無垢なスケベ心で、大いに期待して読み始めたが、なんだか妙に堅苦しく大げさな文章だな、という風に僕は感じたのだけれども、訳者は野崎孝氏だったと思う、「ライ麦畑」もこの人の役で読んだんだな、まあ、なにかそのホンの雰囲気を出すために独特の工夫をする人なんだなと今にしてみれば思いますがね、そう、そんな格調高い(様なふりをした)文章にもかかわらず、そこに書かれているのは、上流階級というにはあまりに俗物的な、それでもお金だけはあるらしい鼻持ちならない連中の暇つぶしの乱痴気騒ぎが延々と続くばかりで、そうした風俗描写に関してはですね、当時の日本の世相もですね、まだ恐らくはバブルなどという言葉は無いにしろ、かなり浮かれまくった時代でありまして、例えば普通の若い子向けのファッション雑誌でもそうしたアメリカ東海岸的な似非スノッブ的ライフスタイル(?!)を推奨するような記事があったりして、そうした記事にもやはり「ギャッツビー」は必読テキスト的に紹介されてたようにも思うが、私のようなごく普通のチューリュー家庭に育ったもののややひねくれた文科系男子としては、そうした世界にあこがれたり、いつか自分もそうなりたいというような子供らしい野望をいだくよりも、単純に「けっ、お高くとまりやがって」という純プロレタリアート的な反発心のほうが強く、それでまあ、さほど長い小説でないにもかかわらず、とにかく読み終えるのに相当苦労した覚えがある。というか、多分途中で読むのやめちゃったんじゃなかったかしらん、とさえ思ってた。
 今回改めて読み直してみると、それは当の村上さん自らによる待望の新訳版ということだからなわけで、当然ね、なるほどこんな結末だったな、そういえば、と、当時もそれなりに読み終えていたんだなと再認識し、で改めて読み終えての感想といえば、なるほど俺も歳をとったなぁということだったりするわけだ。


グレート・ギャツビー
グレート・ギャツビー
村上春樹,スコット フィッツジェラルド
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| book | 10:12 | comments(1) | trackbacks(98)
公園の日々
ホンの少し前、失業中の頃にはとにかく近所の公園にばかり行っていた。
戦前には高級ゴルフクラブだったというその公園は、周囲の鉄道駅からの交通の便が極端に悪く、平日の昼間、特に寒い今ぐらいの時期には、かなり広大な敷地に驚くほど少ない人しか訪れてなくて、そこをぶらぶらと散歩したり、弁当を食ったり、楽器の練習をしたり、ただボーっとなにを見るというでもなく、眺め渡している時間というのは、なんだかものすごい贅沢をしているような気分がした。
いま、日々の仕事に追われている毎日で、なにを懐かしく思うかといえば、あの公園で過ごした日々に違いない。
たまには休みとって、温泉でも行ってのんびりしたいナーとか、友達と合ってバーっと飲みに行きてぇーナーとか、そんなに思わないね、ただあの公園でボーっと半日過ごした贅沢を時折思い出す。

そこには「くじら山」というおそらくは人工的にこさえた小高い丘のような場所があって、そこの天辺は一番のお気に入りの場所だった。そこから眺め渡す景色は、僕の座る山の天辺からのなだらかな傾斜は芝生になっていて、その下に小川が流れている。その岸辺の上はコンクリートに覆われていて、スケボーやらなんていうんだろ、自転車の曲乗りみたいなの?そんなことの格好の練習場になっていて、その向こう側はちょっとしたグランドのような平らな土地があり、子供たちがサッカーだの野球だのの練習してたり、今の時期なら凧揚げなんかもしてる。その向こうはもう公園の敷地外で細い道路を挟んですぐに切り立った崖上の土地になっている。国分寺崖線というのだ。そこに住宅もあるのだけど、緑の多い地域になっていて、針葉樹の森のように見えて、実際はその崖上にそういう樹が植わってるだけで奥行きはなく、崖の上から向こうは住宅街なのだけどそこまでは見渡せない。
それなりに遠くまで見えているようで、不思議に距離感のないのっぺらとした、2次元の景色で近景と遠景に同時に焦点をあわせるように眺めるとむしろ自分の作った小さな箱庭を眺めて楽しんでいるような気分がするのだった。


パーク・ライフ
パーク・ライフ
吉田 修一
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| - | 11:30 | comments(0) | trackbacks(0)
横浜たそがれ
大晦日、お店は早めに閉めたもののバタバタと片付けものをして、店を出たら、それが丁度年をまたいだ瞬間で、近所のお店の店内からカウントダウンの合唱が聞こえてくるのでした。
そこから何故か京浜東北線で横浜方面へと向かう。
智さんが毎年恒例のクレイジーケンバンドの横浜ブリッツでの年越しライブに行っていて(今回は僕はいけなかった!悔しい!)ライブ後に落ち合って、みなとみらいのクア施設「万葉の湯」でゆっくりお風呂に浸かって朝から、僕の実家のある茨城県笠間に向かおうという寸法。
桜木町駅に着くと、いやなんだかものすごい人だかり。
何か年越しのイベントでもあったのだろうか。
大晦日にこれだけの人出があるんだなぁ。

桜木町駅から動くランドマークタワー横を抜けて、大観覧車のほうへと歩いていく。
終夜営業の営業の遊園地のイルミネーションと絶叫マシンから響く嬌声。
ショッピングセンターの広場では炎燃え盛る松明を振り回したジャグラーの前に大勢の人だかりが出来ている。
車座になってしゃがみこみ、全員が、おそらく新あけおめメールを打ちまくってるのだろう、携帯のモニターの灯りに青白く顔を照らされた中高生の集団。
そこかしこの路上に止められ、ときおり馬鹿馬鹿しい排気音や間抜けなクラクションを鳴らす、カスタマイズされた派手なアメ車たち。

なんだか夢のようだな、と思いながら僕はとぼとぼ歩いてる。

フィエスタというのか、あるいは夢のイメージとしてのカーニバルの光景だろうか、例えば、フェリーニの映画一場面のような。
いや、そうではないなと思う。なんだろな、この不思議に冷めた感じは。
そこにいくら人が集まろうと、体温程度にも温もらない不思議な冷たい温度に保たれたみらいとし。
以前にも同じような気持ちで歩いていたのは、休日朝方の誰もいないお台場の草むらを遠くにフジテレビの建物を眺めながら智さんと歩いていたときだった。
今、そんな風に感じるのは今日は僕がただ一人で歩いているからなのか、大晦日の深夜、それでもそんなには気温も低くはない気もするのだけど。

遊園地にある「氷の世界」という名のアトラクション。
その前で、二組のカップルが、はいろーぜ、この寒さの中でアホか、お前は!意外と中のほうが暖かかったりして、などと言い合ってふざけている。
隣の「スペースライド」という乗り物からは、大声で悲鳴をあげる女の子に混じって「はっぴーにゅーいやー!」と叫ぶ太い声も聞こえる。
ほぼ歩行者天国になってしまった大通りの真ん中で、もこもこに着込んだ5歳ぐらいの女の子が感極まって踊り始める。お父さん、お母さん、そしておじいちゃんおばあちゃんもそれを見て大笑いしてる。

多分これが今の横浜を代表する場所。
楽しく奇麗で夢のように温度のない街。
昔の横浜なんて知る由もないのだけど、それは僕がむしろ夢に見る幻の町。
いかがわしく危険で血の滾る温度のある町。
そんな場所を探してたびたび横浜散歩にも訪れるのは、野毛、山下、黄金町と昔日の面影をわずかに残し、徐々にその温度を喪いつつあるたそがれの町並みばかり。
そういえば今僕が属している会社の本社はこの「みなとみらい」の「ランドマークタワー」(どっちもなんてバカみたいな名前なんだろう!)にあるのでした。会長室からはこの横浜港の景色から、富士山まで一望できるって。アホかっ!て話ですよね。
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| - | 11:33 | comments(3) | trackbacks(1)
男には向かない職業(男の子ならさにあらず)
職場の近くに港区の図書館があるので、最近利用するようになった。
とにかく通勤の間の暇つぶし、これを購う書籍の類の費用が、いや、なかなかバカにならなくて。
せっかくそういう、暇つぶしなんていってる時間があるのだから、じっくりと長編小説でも読めばいいのだけど、なんかそんな気にはなれないんだな。
出来ることなら片道一時間とちょいと、その間で読み切れてしまうようなものがいい。
例えば週間の漫画誌一冊。あるいはコンビニで売ってる、漫画のさ、再編集した廉価判みたいのあるでしょ。あんなのとか、なんとなく買ってしまう。あと一冊200ページぐらいの文庫本。小説じゃなくて、エッセイみたいなすぐ読めて、あとを引かない内容がいい。
そんなのを毎日のように買ってたら、一冊は¥500以下でも、結構な出費ですよ。
だもんで図書館。
そーゆー肩のこらないモンでいいから、なんかないかしらといろいろ物色していて、やっぱり図書館だと書店とはまただいぶ違う発見があって面白いわけなんだけど。
例えばこんなのを借りてみる。

甘茶日記
甘茶日記
中野 翠

あと、こんなのとか。

西へ行く者は西へ進む
西へ行く者は西へ進む
えのきど いちろう



僕がまだ学生のころに、この人たちのコラムをかなり熱心に読んでたような気がする。
 今は二人ともそれほど人気のある文筆家とはいえないんだろうな。
 書店ではあまり見かけない名前になってしまった。
 中野さんはそれでも落語の本とか、明治の小説家の話とか、なんかあまり売れそうにない本をそこそこ出してるけど、えのきどさんはどっちかっつーとラジオでしゃべる人になっちゃったものね、まあ、そのラジオのほうもいまも続けてらっしゃるのかわからないけど。



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| book | 01:53 | comments(0) | trackbacks(104)
食べることや、生きること。
 気がつけば随分と酷い有様になってるんだ、その、毎日の食べるものが。
 いや世間一般の話じゃなくて、僕個人の話ですよ。
 だけど、世間一般というものがそれほど関わり無いかというとそうでもなくて、つまり僕にしたって、世間並みだってこんなものだろうとなんとなく思い込んで、安心してるのだが、世間並みがこんななら世間も随分でたらめなことをして日々を生きながらえてるのだなぁと改めて思うがどうだ、という話です。
 だから例えば、一日のうち一食は揚げ物のおかずのご飯だったり、ファーストフードのお店やコンビニ飯がかなりの頻度で登場したり、考えてみたら野菜なんかさーほとんど食べてないや、(「一日分の野菜」なんて書いてある野菜ジュースを「詐欺だ、不当表示だ!」と思いながらもつい飲んじゃう)なんてのはあたりは当たり前だろ?ね、ね、なんて世間の皆様にも同意を求めたくもなるのだけど、夜の八時以降に平気で2食喰ってたり、そんなだから、朝起きても食欲いまいちで、午後の二時過ぎまで何も食べてなかったりの食事時間の不規則っぷりは職業病ともいえるのだけど、そもそも食べるものにあんまし美味い不味いという考え方を持ち込まなくなってきた、目の前にそれがあれば喰うし、つまり目の前にそれが出てくればいいやという考え方が毎食の食事の基本になってるのは、そーとーヤバイなと、それも職業柄思うわけだが、だけど職業柄そーなってしまうということもあるわけで。
 いやね、板前なんかさ、自分の食べる物に関してはホントぞんざいですよ、びっくりするくらい。食の現場で仕事してる人ほど、だんだんと食への興味を失って言ってしまう構造というのはあるんだな、大仰なようだけど巨大産業としての食べ物という側面にずっと触れていると。いやでも、えっと、そっち方面の話にそれてくと長くなる、それに今回僕が言いたいのはだからもっと「良い食事」をしましょうって話じゃなくてね、「スローフード」とかそういう話でもまして無く、そういう日々のね、あまり考えのないというか、惰性の食事でも、三度三度のご飯の楽しみというのはあるわけで、いわば「ダメ食」の快楽っていうのも、なんだかあるんだよな、やっぱり。
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| 漫画 | 02:04 | comments(0) | trackbacks(0)
この2ヶ月(3ヵ月?)ぐらいで読んだと思う本や漫画。(続)
復活宣言して、このあと続きますなんて書いてそれから、あっという間に2週間て...
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| book | 13:32 | comments(2) | trackbacks(1)
この2ヶ月ぐらいで読んだと思う本や漫画。
もっとちゃんとした小説とか何とかね、読みたいんだけどどうしても軽めの者に言ってしまうな。
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| - | 15:25 | comments(0) | trackbacks(0)
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