夏庵`s nest

nest [nest]
1(鳥, 虫, 魚, 小動物の)巣, 巣穴.
2居心地のいい場所, 休み場所, 隠れ場所, 避難所.

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木村伊兵衛の距離
 もう放映から一週間も経ってしまったのですが、先週の土曜日にNHKのETVスペシャル「木村伊兵衛の13万コマ・よみがえる昭和の記憶」という番組を観たのです。

 木村伊兵衛氏の今も傑作として残る何枚かの写真の含まれたフィルムのベタ焼を見ることによって、作品として残された一枚の前後の瞬間にはどんな写真が残されていたのかを検証し、木村氏の被写体への興味の移り方、一瞬を切り取る写真作法、木村氏の写真術そのものを探る、という内容なのかなと思い、またそうした内容に絞った番組であればもっと面白かったんじゃなかろうかとも思ったのですが、それよりは寧ろ、その写された対象、昭和という時代と木村氏の写真のかかわりという部分のほうがメインになっていて、やや散漫な番組内容になってしまっていたのは残念でした。
 それにしても、作品としては世に出ていない木村氏の写真が多く見れたのはそれだけで興味深いものでしたし、改めて木村伊兵衛の写真の特異性が充分に伝わる好番組だったのではないかと思います。

 で、翌日図書館で借りた木村伊兵衛氏の大判の写真集を観ながら思ったこと

 

木村伊兵衛写真全集昭和時代〈第2巻〉昭和二十年~二十九年
木村伊兵衛写真全集昭和時代〈第2巻〉昭和二十年~二十九年
木村 伊兵衛
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| ART | 09:44 | comments(0) | trackbacks(0)
写真の行く末
 今日のYahoo配信のニュースの記事。

「カメラ業界 フィルム事業縮小…愛好家に波紋」

 僕もミノルタだのニコンだののニュースは知っていたし、そのときは非常に残念というか、なんか一時の趨勢に流されて一流のメーカーがこんな対応をせざる得ない、今の日本の産業構造ってやっぱなんか変な気がするなぁ、という感想だったんですけど、好事家の間ではすでにパニック的反応が起きてたんですね。
 かえって売れてるんだ、フィルムカメラ。
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| ART | 10:48 | comments(2) | trackbacks(0)
杉本博司ー時間の終わり
 写真に興味が出始め、もっといろいろ撮ってみたい、写真というものにもっと深く関わってみたいと思ってた矢先にそれまで使い慣れてたデジカメが壊れた。
 で、それがきっかけで、いままで押入れに眠ってた光学一眼レフカメラの存在を思い出し、ごそごそ引っ張り出してくる。
 使い方もわからないままに撮ってみたいと表に出かける。
 たまたま出会った写真展に深い感銘を受ける。

 ここまでがたかだか一週間のうちの起きた出来事となると何かしら特別な偶然性(やはりあくまで偶然性の範囲内の出来事でだからこそ)の不思議を感じないわけにはいかない。シンクロニシティとまではいわないまでも。

 偶然性、それは例えば写真という現象を構成するもっとも大きな要素であるだろうし、あまた写真はあるにしろ、それが単なる記録の意味の(あるいはその意図さえ希薄な)スナップ、何かを伝えるためのメディアとしての写真(報道的な意味合いであろうと、商業的な意味合いであろうと)、そしてアート的な意味合いの写真、それぞれにおいて、そこに明確な線引きさえ今は出来ないけれども、とりあえず写真全般として、絵画(これもあらゆる場面での絵画ということであるけれど、過去から比べればその意味は大きく広がっているるが、他の映像表現の範囲が飛躍的に拡大してしまったため、結局その占める位置は全体の割合のなかでは縮小しつつある表現)との圧倒的な違いに関しては現実に存在した一瞬をそのまま切り取り映し出すという、その場面を切り取るためにいくら撮影者が場面を設定し、光を調整し、あらゆる演出を施したところで、その切り取られる一瞬には時間というもの背負う不可避な偶然性が潜んでいる。それが写真の唯一の真実であり、それゆえの面白さであり、また逆につまらなさでもあるような気がしていた。

 デジタルカメラをいじってると、もうそれが写真というものの真実ではなくなってることをつくづく感じる。
 写された写真はデジタルのデーターになったとき、もうその時間の偶然性なんていう(今となっては)神話的な真理をあっさり放棄してしまっているのだ。
 そこにあるのは素材、もしくはただの要素でしかない。
 例えば僕の写した写真さえ、ごく拙いやり方ではあるが大概はなんらかの加工を施してある。明るさや、光のコントラストを操作し、例えば僕はそこまで出来ないけれど、そこに写っているものをまるっきりなしにしたり、あるいはそこに移ってないものを加えてたり、そんなことは簡単なことだ。

 だから絵画というものをさっきわざわざその範囲を狭く限定したけれども、写真にしろ絵画にしろもはやジャンルの意味さえ不分明であり、もちろんそこに旧態芸術としての純粋性を求めるやり方が反動的だとは決して思わないけれども、例えば写真であるなら、偶然性という定理を解体し、再構築すること、観念としての写真の純粋性をもう一度写真そのもので表現するやり方もあるということなのだ。
 
 杉本博司の作品はその一瞬を切り取る時間芸術としての写真の真実をあっさりと翻す。
 写真という媒体であらゆる映像技術を模倣(?)しながら最後は写真の純粋な部分にすとんとたどり着いていしまう。

 
 
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| ART | 23:34 | comments(0) | trackbacks(0)
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