夏庵`s nest

nest [nest]
1(鳥, 虫, 魚, 小動物の)巣, 巣穴.
2居心地のいい場所, 休み場所, 隠れ場所, 避難所.

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鼠穴 / 立川談志
落語の話がすっかりなくなっちゃたのは、別に「タイガー&ドラゴン」と一緒に落語熱も冷めちゃったからじゃないかと、思われても仕方ないのだけど、実際なかなか生で落語に触れる機会というのは意外と難しいものなのですね。
「寄席に行けば毎日やってるよ」といわれるかもしれないが、寄席というのは意外と入場料が高いんだ。しかもその高いお金を払って見に行くほどの価値があるかといえば、正直それがそうでもない場合が多いんだな。
時間が空いたんでフラッというわけにはなかなかいかない。
それに人気の落語家の会のチケットというのはいまやプラチナチケットで、すさまじい勢いで売れてしまうもんなのだ。
で、だんだん生の落語から遠のいてしまってるんですが。
CDでは結構日常的に聴いてるんです。
だから、ちょっと落語のCDの話をしようかなと。
最近ちょっとネタに詰まり気味というのもあるし(笑。
音楽のCDみたいにネ、おすすめ盤とか、今はこんなの気に入ってきてます、みたいな話をちょこっと。

落語のCDは自分で買いもするのだけど、立川のTUTAYAには結構ちゃんとした落語コーナーがあってそれなりに数が揃ってるんですよ。
職安行くついでにそっから借りてきては聴いてるというわけで。
でもやっぱり落語は生に限るという気もする。どうしたって声だけの録音じゃ、落語の魅力の半分だ。
でもやっぱり、志ん朝師の落語なんかはもう生では聞けないわけだし、そうした名人芸はCDでもやっぱりすごいんだよね。
そんな名人芸を、いつでもどこでも、まじめに聴こうが、寝転んで聴こうが、掃除洗濯のついでに聴こうがOKという気楽さ、これぞCDならではの楽しみというやつがやっぱりあるんですな。
というわけで。


最近聞いた中でこれはよかったな、というのがこれ。

ひとり会(3)
ひとり会(3)

以前に志らく師のブログで、爆笑問題の番組に出たときに、志らく師も太田氏も談志師匠の「鼠穴」にカルチャーショックを受けたのだ、という話が載っていて()その鼠穴という噺自体を知らなかったので、聴いてみたいなと思っていた。
まあ、噺の内容自体はネット上でいくらでも調べることはできるのだけど、せっかく知らない噺なら、いきなり談志師の語りで聞いてみたいな、と思ってたらそのCDがTUTAYAにあったわけで。
いや、これが面白いのだ。
笑えるっていう意味じゃないですよ。人情話で、笑いの要素はひとつもないのだが、噺そのものにすごく引き込まれた。で、いろいろと考えさせられるんだよな。

さて。
ちょっとややこしいんですけど、この噺を知らない人には、できれば、この噺をCDで聴くなりしてからほんとは読んでもらいたいんです。
でもそうもいかない事情もいろいろありますんで、話のあらすじの書いてある、サイトにリンクしておきます。
とりあえずどんな話か知りたい人はこちらへ。

「鼠穴」らくごのぺーじ 

で、話は知らないでおきたい人にはネタバレになるとこからは表示しますんで、そっから先は読まないでね、ということで。

越後からで出てきた田舎者が商売で成功する話である。
もとより江戸っ子好みの噺ではないはずだ。
笑いも少ない。どちらかというと教訓じみた陰気な話だ。
そもそも兄弟の絆を描いた人情話というがそうなのだろうか。
その点から疑問な話ではある。
ではつまらない噺なのか。
いやこれがめっぽう面白い話なんですね。
いくつかのどんでん返しがあり、いったんいい話だけで終わってしまうかと思えばその先に聞かせどころがある。
ここでいかに観客をひきつけるか。
談志師の語りはただ耳で聞いているだけでも眼前にその光景が次々と浮かび上がるようだ。

(この先ネタバレあり)











そして落ちで、すべてが夢だとわかり、主人公の竹次郎以上に、この噺を聴いている者はホッとするのだ。
それまで紅蓮の炎を眼前にし、実の兄の仕打ちに怒り、愛娘と涙の別れをし、やっとの思いで手に入れた金を一瞬のうちに摺り盗られる、そんな出来事を聞き手も一緒に経験させられてきたのだ。
だからホッとして一瞬のちに「ナンダ、夢落ちかよ!」と思う。
そこへ下げ。
「夢は土蔵(五臓)の疲れだ」
あまり上手いともいえない地口落ちだ。
それでも、この噺に納得してしまう。面白い話だったと思う。また聴いてみたいと思う。
その魅力は一体なんだろう。

それはやはり、本質的な人間性への懐疑というもの、そういう薄暗いものがこの噺の裏には隠れているからではないか。

竹次郎は兄に頼って田舎から出てきて3文の金だけ渡されて追い出される。
竹次郎は兄を恨んでいるのである。その恨みをエネルギーにして財をなし、むしろ復讐のつもりで兄に家に向かうのである。
兄はそんな弟にあのときの三文はお前がまずは無駄遣いをせぬように商人の心得を教えるために渡したのだと、諭す。
弟もその場は兄に感謝するが、本当に兄の言葉を信じるだろうか。
兄も奉公したいという弟を体よく追っ払うためだけに金を渡したのではなかったか。
そして聞き手さえもこの兄弟に決して好感は持ってないのである。
田舎者が、3文の金で蔵など立つものか、そして聞き手のひそかな希望通りに竹次郎に不幸がおとずれ、兄は裏切る。
そしてそれは夢だと語られるのだがそもそもその夢を竹次郎に観させたものはなにか。
急に成り上がってしまったことへの竹次郎自身の不安であり、兄への懐疑であり、恐らく竹次郎が周囲の人間からなんとなく受けていたであろう妬ましい気持ちであり、それはこの話を聴く聴衆の悪意でもあるわけだ。

そうした人間の本質的な悪意は堅牢と思っていたはずの自己の内部のほんのちょっとしたほころびからその人の魂全体を焼き尽くす炎にさえなるのだ。

弟が悪夢を見たと兄に言って聞かせ、兄はそれを聞いて、「これでますますお前の商売も盛るだろう」という。
そしてそんな夢を観るのは、お前の心と体が疲れているのだと諭すのである。











(ネタバレ終わり)



人の業を肯定し認めること、そして用心する事。そのことで人間は成長し人生は深みを増していく。そのようには言わず、この噺はそれと語っているように思う。
まさに談志師の言うところの「落語とは人間の業の肯定である」を芸できっちりと表現しているということか。
そしてそれは物語が本質的に持っている癒しの機能だし、また夢という人間の不思議な精神活動の本質もそこに表現されているのではないだろうか。

噺というのはただ物語を話して聞かせるだけのことなのである。
そのことにどれだけの力が含まれていることか。
談志師の言うところの「イリュージョン」というのもわかるなぁ。
実にいろいろなものを落語は見せてくれるのだ。
落語はただ面白いばかりじゃない、それ以上にやっぱり面白いのだ。



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