クドカンの脚本だし、こういう馬鹿な若者の青春モノっていうのは得意なところじゃないですか。だから観たいなとは思ってたんですが。
実は
原作が大嫌いだったもんで、いままで観てなかった。
この間「ジョゼと虎と魚たち」を見て、妻女木クンというのはなかなかいい役者じゃあないかと思って、一応これも押さえに見ておこうかぐらいのつもりで手に取ったのですが。
69 sixty nine
なんだ、
すげぇ面白いじゃん、これ。
原作が嫌いというのは、まあ、村上龍のすべての作品が嫌いというわけでもなく(かなり好きなものもある)、しかしこの原作はね、「昔は俺もバカやったもんよ」的な自分の過去のまったく主観的な脚色をまんまさらけ出しただけというひどい代物だなと思うのだけど、世間はそうも思わないらしい。意外と村上作品でも人気あるんでしょ、これ。
しかし、少なくともクドカン、あるいは監督の 李相日氏は原作のそうしたテイストに関してはあまり好きではないのではないかな。
若い男というのはただ若いというそれだけで
とてつもなくバカなのである、というそのテーゼのみでこの映画を押し切ってしまってるところがエライ。
とにかく、主人公がヒドイ。
その場その場の口先だけで立ち回る大嘘つき。機転が利くように見えるけれど先のことまで考えられないから、後で必ず騒動になる。
すべての行動は好きな女の子への純情がモチベーションのように語られているが、実は校内で一番目立つ女にモテテル自分を見せたいだけの目立ちたがり屋。とにかく自分の行動に関しては一切の責任をとろうとしない詐欺師野朗なのである。
こっれって、アレですな「無責任シリーズ」の平均(たいら・ひとし)ですな、考えてみると。
まあ、そうした人物を一応は好男子ということで嫌味無く演じた妻女木は、植木等並の人物ということか?
その主人公の相棒も頭は切れるし、顔もいい、冷静な男として描かれてるが、とにかく主人公の差し出すランボーの詩の一編で、こいつにはなにかあるなんて思い込んじゃうところがバカである。
その二人にくっついて廻ってるその他大勢ももちろんバカである。
それだけバカが揃って何やかややるわけだし、バカの行動を描かしたら当代一の戯作者が書いてるのだからこれは面白いやね。
原作では震えるほど寒かったギャグもちゃんと笑えるようになっている。
ところどころ画面に懲りすぎてリズムの悪くなってるところはあるけど、全体としては演出も悪くない。
当時の風俗をさほど嫌味じゃない程度にちりばめて、でもぜんぜん現代に通用する話になってるし、ある種のノスタルジーに頼らない意気やよし、といったところだ。
それから、何よりも舞台の佐世保の風景と方言が良い。
だから、アレですね、村上龍の原作よりも「博多っ子純情」の漫画と映画に心情的には似ているような気がするなぁ。
さらに痛快だったのはラストの〆かたである。
これ最高。
やっぱ、クドカン、村上龍のこと嫌いなんだな、と確信しました。