夏庵`s nest

nest [nest]
1(鳥, 虫, 魚, 小動物の)巣, 巣穴.
2居心地のいい場所, 休み場所, 隠れ場所, 避難所.

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木村伊兵衛の距離
 もう放映から一週間も経ってしまったのですが、先週の土曜日にNHKのETVスペシャル「木村伊兵衛の13万コマ・よみがえる昭和の記憶」という番組を観たのです。

 木村伊兵衛氏の今も傑作として残る何枚かの写真の含まれたフィルムのベタ焼を見ることによって、作品として残された一枚の前後の瞬間にはどんな写真が残されていたのかを検証し、木村氏の被写体への興味の移り方、一瞬を切り取る写真作法、木村氏の写真術そのものを探る、という内容なのかなと思い、またそうした内容に絞った番組であればもっと面白かったんじゃなかろうかとも思ったのですが、それよりは寧ろ、その写された対象、昭和という時代と木村氏の写真のかかわりという部分のほうがメインになっていて、やや散漫な番組内容になってしまっていたのは残念でした。
 それにしても、作品としては世に出ていない木村氏の写真が多く見れたのはそれだけで興味深いものでしたし、改めて木村伊兵衛の写真の特異性が充分に伝わる好番組だったのではないかと思います。

 で、翌日図書館で借りた木村伊兵衛氏の大判の写真集を観ながら思ったこと

 

木村伊兵衛写真全集昭和時代〈第2巻〉昭和二十年~二十九年
木村伊兵衛写真全集昭和時代〈第2巻〉昭和二十年~二十九年
木村 伊兵衛


 写真集を一見して、まず何だろうと思うのは、とにかく写真に撮られたすべての被写体たる人物がまったくカメラを見てないということなのでした。
 それは群衆といってもいいほどの人物をひとつの画面に納めても、ただ一人の人物を対象にした写真でも同じようにそうなのだ。
 いくつかの有名人のポートレイトをのぞけば、人物の視線がまっすぐカメラを向いてる写真が皆無というのは、気づいてみると、ちょっと異様な気がする。ある特定の個人を撮った写真でさえ、そのほとんどがカメラから視線をそらした肖像ばかりなのだ。

 上の右の写真は浅草の神谷バーで酔っ払った紳士を撮った写真。
 構図も光の具合も被写体のポーズまでバッチリ決まった写真だけど、NHKの番組ではこの写真がその前後にかなりの数、同じ被写体を撮った中からセレクトされた写真であることを検証していた。被写体までの距離、構図、など何度も試し、何枚も撮影した上で最良の瞬間を選んだわけだが、驚くべきは、それらの数枚の写真が撮られたことにこの被写体も、周りの客もまるで気づいてる様子はないのだ。



 これは本郷森川町というタイトルで、なんでもない街角の一瞬を切り取った写真であるけれど、木村氏の写真の中でも最も有名なもののひとつだろう。
 この写真については以前にテレビ東京の「美の巨人たち」という番組でも取り上げられていて、そのときもちょっと感想を書いたのだけど、この写真も、同じたち位置で何枚も撮られた写真のひとつである。前後の写真を見ると、いかにこの一瞬の風景が奇跡的に収まってるかがよくわかる。
 まるでなんでもないただの風景といえばそれまで、何も意識せず、そこいらでなんとなくカメラを構えてシャッターを押せば取れてしまえそうな写真にさえ見える。
 しかしこれだけの人数の人物を、五差路の路上というちょっと特異な空間で完璧な構図で配したスチール写真なんてそうは取れるもんじゃない。
 しかも画面上の人物(全部で十人)がひとりとしてカメラに視線を向けてない。誰も撮られた事にさえ気づいてないのである。
 
 木村氏は自らの写真術を「居あい抜き」と称したそうである。
 例えば街頭でスナップを撮る。首からぶら下げたカメラの、ファインダーは覗かずに、歩く先の位置にそこに来るであろう被写体との距離を測り、胸元でピントを合わせ、露出を決めて、その決めた距離にこれはという被写体が飛び込んでくれば、サッとカメラを差し上げて、一瞬で撮影してそのまま撮影対象とはそ知らぬ顔してすれ違う。
 あるいはこんな話。首相在任当時の池田勇人を撮る際、まずは弟子にばかり撮らせて自分ではなかなか撮ろうとしないのだ。被写体もいい加減焦れてくる。そんな時、池田夫人が池田氏の衣服を直そうとした際の一瞬、サッと撮って、それでその撮影は終了してしまった、なんてこともあるそうだ。
 そしてそんな風にして撮った写真の中で、これはと思う写真が出来上がると、木村氏は「どうです、粋なモンです。」といったという。
 「粋」とは一体何か、という話になると実はかなりややこしくなるのだけど、九鬼周造氏の「粋の構造」によれば、「粋」とは、ごくかいつまんでいえば「垢抜して(諦め)、張のある(意気地)、色っぽさ(媚態)」ということらしい。
 まず前提として木村氏にはカメラ撮影の対象物がカメラを意識したとたん被写体としての資格を失うと考えてたのであろう(諦め)。その前提の上でいかにカメラを意識させないで対象に向かう技を自ら居あい抜きと称するまで磨いていき(意気地)、対象の一瞬の表情をすかさず撮影する(媚態)。
 木村氏が自らの作品を評して「粋」というのはまさに江戸っ子である木村氏の身体感覚、生理感覚に裏打ちされた、まさに真性の「粋」の表象のように思える。
 木村氏が被写体に向かうその一定の距離感覚。
 木村氏は絶対に被写体とは決して交わろうとはしない。しかしその物理的距離は出来うる限り近くであろうとするのだが、被写体からは、視線さえ交わることはなく、しかしこちらから見つめるその視線のなんと鋭く、色っぽく、確かなことだろう。

 そして木村氏と同時代人でもうひとりの写真界の巨人といえば土門拳だろうけど、同じ「リアリズム」を標榜する写真家でありながら、木村氏とは違い徹底的に被写体に肉薄せんとする土門氏の写真作法はまさに野暮の極みといえましょう。
 でもね、野暮というのはそりゃ、粋の美意識から比べれば一段落ちるがそれほど非難される態度ではないのだ、もともとは。野暮は庶民の感覚。まともな市井の人の常識的な感覚なのだ。

 一番いけないのは半可通。実はこれがいっちゃん嫌われる。

 野暮であるのはいた仕方なし、せめて半可通な写真(どうしてもそんな風に意識は働いてしまうのだ)を撮らないようにしたいもんだなぁ、などと生意気なこというあたりが既に半可通の証。
 


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